サンプルのテスト投稿

私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合(つごう)と、紙面の編輯(へんしゅう)の都合とできまるのだから、判然(はっきり)した見当は今つきかねる。

 まずあなたの特色として第一に私の眼に映ったのは、饒(ゆた)かな情緒を濃(こま)やかにしかも霧(きり)か霞(かすみ)のように、ぼうっと写し出す御手際(おてぎわ)です。何故(なぜ)ぼうっとしているかというと、あなたの筆が充分に冴(さ)えているに拘(かか)わらず、あなたの描く景色なり、小道具なりが、朧月(おぼろづき)の暈(かさ)のように何等か詩的な聯想(れんそう)をフリンジに帯びて、其本体と共に、読者の胸に流れ込むからです。私は特に流れ込むという言葉を此所(ここ)に用いました。もともと淡い影のような像ですから、胸を突つくのでも、鋭く刺すのでもない様です。あなたの書いたもののうちには、人が気狂(きちがい)になる所があります。人が短刀で自殺する所も、短銃(ピストル)で死ぬ所もあります。是等(これら)は大概裏から書くか、又は極(ごく)簡単に叙し去って仕舞(しま)われるので、当り前の場合でも、それ程苦痛に近い強烈な刺戟(しげき)を読者に与えないかも知れませんが、それでも、若(も)し以上に述べたような詩的の雰囲気(ふんいき)の中で事が起らなかったなら、ああした淡い好い感じは与えられますまい。

 もっとも定義を下すについてはよほど気をつけないととんでもない事になる。これをむずかしく言いますと、定義を下せばその定義のために定義を下されたものがピタリと糊細工(のりざいく)のように硬張(こわば)ってしまう。複雑な特性を簡単に纏(まと)める学者の手際(てぎわ)と脳力とには敬服しながらも一方においてその迂濶(うかつ)を惜まなければならないような事が彼らの下した定義を見るとよくあります。その弊所をごく分りやすく一口に御話すれば生きたものを故(わざ)と四角四面の棺(かん)の中へ入れてことさらに融通が利(き)かないようにするからである。

それから直接に官能に訴える人巧的な刺激を除くと、この巣の方が遥(はる)かに意義があるように思われるんだから、四辺の空気に快よく耽溺(たんでき)する事ができないで迷っちまいます。こんな中腰(ちゅうごし)の態度で、芝居を見物する原因は複雑のようですが、その五割乃至(ないし)七割は舞台で演ずる劇そのものに帰着するのかも知れません。あの劇がね、私の巣の中の世界とはまるで別物で、しかもあまり上等でないからだろうと思うんです。こう云うと、役者や見物を一概に罵倒するようでわるいから、ちょっと説明します。